協会概要

「日本カトリック児童施設協会」は、カトリックの乳児院・児童養護施設・自立援助ホーム・児童心理治療施設・母子生活支援施設・障がい者支援施設等によって構成されており、北は北海道から南は鹿児島県まで77施設(2024年4月現在)が東北・関東・関西・九州の4つのブロックに分けられています。

本協会は、日本および諸外国におけるカトリック児童福祉施設および障がい者支援施設等相互の連携をはかり、事業の発展充実を期することを目的としており、ブロック毎の研修会や会議に加えて、毎年1回各ブロック持ち回りで全国会議を開催しています。

社会福祉が慈善活動であり、社会保障制度が未成熟であった時代には、カトリック教会・修道会とその関係者は、学校教育や福祉活動に自らの使命を感じ、社会福祉施設・機関の運営(経営)を先駆的に行ってきました。その後、社会福祉制度が制定され、わが国における社会福祉活動が様々な制度の下に運営されるようになった現在においても、創立の精神の土台となる「児童・利用者にキリストの愛を伝え、隣人愛を実践する」「一人ひとりをかけがえのない存在として受け入れる」ことを大切にしながら全国の各施設が運営を行っています。

ご挨拶

日本カトリック児童施設協会のホームページへようこそ。
当協会は日本におけるカトリック児童施設の協議会で、児童養護施設・乳児施設・障害児(者)施設・母子家庭支援施設・自立支援施設など全国の77施設が参加しています。このホームページでは所属の会員施設のホームページとリンクし、カトリックの施設がどのように活動しているかを紹介し、また会員施設間の交流を促進したいと考えています。このホームページを効果的に活用し、神の望み「人々の幸せ」を実現し、神の愛につつまれた社会を実現できれば幸いです。

近現代の日本の社会福祉活動はその多くがキリスト教精神に育まれて成長してきました。特に、明治7年ごろ長崎港外の島々で赤痢や天然痘がはやり苦しむ人々を見て、パリ・ミッション会のド・ロ神父は岩永マキらを誘って救助活動をはじめ、浦上養育院を設立しました。また明治11年5月に北海道函館に派遣された三人のマスール(シャルトル聖パウロ女子修道会シスター)は身寄りのない子どもたちの養育、病人の見舞い、近隣の子どもたちへの手仕事の教授などを共同で始めました。
一方、日本の社会事業史の中では明治20年の石井十次氏の岡山孤児院、明治24年の石井亮一氏の滝野川学園もともにキリスト教(プロテスタント)に触発されて始まっていますが、ド・ロ神父の浦上養育院、函館のマスールの活動はそれよりも十年近く先んじていたことになります。

どこの誰の活動が早かったか、という問題ではありませんが、このようなキリスト教カトリックの活動の原点には何があるのでしょうか。イエス・キリストの教えに「まず神を愛せよ。そして同じように隣人をも愛せよ」と謳われています。また、キリスト教の土台となった旧約聖書には「孤児や寡婦を助け労わり、旅人を丁寧にもてなせ」とあります。イエス・キリストはその宣教の初めから、病気や障害で苦しむ人たちを真っ先に癒されました(ルカ4:18)。キリストの教えにははっきりと「他人の痛みへの寄り添い」が書かれているのです。日本では慈善活動の中でチャリティーという言葉がありますが、これは「愛」を意味するラテン語の「カリタス」からきています。つまり父なる神は人間が自分の弱さのために罪に苦しむのを見て、イエス・キリストを遣わし、十字架上の死をも負わせながら人間を救おうとなさったのです。この神の無限の愛こそが私たちの福祉活動の原点なのです。
マタイ福音書の最後にはイエス・キリストの次の言葉が記されています。「あなたがたは私が空腹だった時に食べさせ、渇いていた時に飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気の時に見舞い、獄にいる時に訪ねてくれた」。「それは私にしてくれたことなのである」と(マタイ25:34以下参照)。神はどんなに小さな隠れた良い行いにも必ず報いてくださるのです。

日本カトリック児童施設協会
会長 野口 重光

近代日本における
児童養護施設のはじまりは
カトリックから

日本最初の児童養護施設としては、石井十次による岡山孤児院(1887年創立)がよく知られていますが、実はそれ以前に長崎の浦上養育院が存在しています。
明治維新後にキリシタン禁制が解かれてそれまで流罪にされていた信者たちは次々と故郷浦上に帰ってきました。
苦労して生活を再建しようとした最中に赤痢と天然痘が広がりましたが、この時、患者の治療や被災者の救護活動に当たったフランス人宣教師ド・ロ神父の手足となって献身的に働いたマリア岩永マキたちが1874年に孤児を救済したのがそのはじまりとされています。

カトリックとは

カトリック教会とは

イエス・キリストが選んだ12使徒の頭であるペトロの後継者のローマ教皇と司教たちによって治められ、全世界に13億人以上の信徒を有するキリスト教のグループで、その中心をローマに置くことから「ローマ・カトリック教会」とも呼ばれています。

日本には1549年にフランシスコ・ザビエルによって初めて伝えられ、信者(キリシタン)が増加しました。その後江戸時代には禁教となり弾圧されましたが、一部の者は「隠れキリシタン」として、密かに信仰を受け継ぎ、幕末の1865年に長崎の大浦天主堂での「カトリック信徒発見」と1873年の明治政府による禁教令撤廃で、再び宣教が行われるようになりました。現在は「日本カトリック司教協議会」という組織のもとに全国15教区に分けられており、2022年時点で信徒数は約42万人(人口の約0.3%)とされています。

ミサってなんでしょうか?

ミサとは、カトリック教会で行う一番大事な祈りです。通常の日曜日のほかに、降誕祭(クリスマス)や復活祭(イースター)などの祭日のほか、平日や結婚式、葬儀などの大事な時にも行います。司祭(神父)が司式をし、信者と共にミサを捧げます。映画やテレビでカトリックの信者が日曜日に教会に行くのを見たことがあると思います。これは、大体教会のミサに参列する場面です。
レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画に描かれている、キリストが12人の弟子たちと過ごした「最後の晩餐」をご覧になったことがある方は多いでしょう。ミサはイエス・キリストの最後の晩餐に由来します。イエスは十字架にかけられて亡くなられたのですが、逮捕される直前、晩餐の席でパンを取り、「これはわたしの体である」と言い、ぶどう酒の杯を取り、「これはわたしの血の杯、これをわたしの記念として行いなさい」とおっしゃいました。これを行うことによって、私たちはキリストの死と復活を記念し、神からのすべての恵みのために感謝をささげることにしています。それでミサは「感謝の祭儀」とも呼ばれます。
ミサは1時間ほどかかり、儀式の順序にしたがって皆で祈り、立ったり座ったり、聖歌を歌ったりします。どなたでもご参加いただけます。
私たちはキリストを記念するために、まずその教えを聞きます。すなわちミサの前半には「聖書」が読まれ、司祭による「説教」が行われるのです。日曜日に読まれる聖書の箇所は、原則として「旧約聖書」から一箇所と、「新約聖書」から「使徒たちの文書」と、「福音書」からのそれぞれ一箇所です。毎日曜日、読まれる箇所は全世界のカトリック教会のために決まっています。

ミサの後半でカトリックの洗礼を受けた信者は、キリストのからだである「パン」を拝領します。洗礼を受けていない方は列に従って前に進み出て、祝福を受けることができます。(祝福とは、神の豊かな賜物があるように願うことをいいます。)

日曜日は本来、主イエスの復活を祝う日で「主日」と呼ばれます。この日、カトリック信者は共に集い、祈り、賛美と感謝をささげ、ミサを祝います。そしてその1週間の活力と恵みを祈ります。この主日のミサが教会のあらゆる活動の源泉であり、頂点なのです。

代表的な2つの祈り

主の祈り

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。

アヴェ・マリアの祈り

アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン。

活動内容

毎年1回、全国の所属施設の職員が集まり、研修およびお互いの振興を深める「全国会議」を行っています。東北、関東、関西、九州の4つのブロックで持ち回りにて実施し、その年の開催テーマに沿った内容を深めるために担当ブロックで工夫をしています。
ブロックごとに施設長研修や会議、また現場の職員向けの研修や会議を行って、地域の施設が連携して様々な状況や課題に取り組んでいます。また、ブロックの代表者や会計担当が集まって討議を行う「中央委員会」を原則年3回実施しており、事業計画や事業報告および会計監査等を行っています。

お問い合わせ

日本カトリック児童施設協会へのご連絡、お問い合わせは、こちらからご連絡ください。

お問い合わせ
052-891-0236 お問い合わせ